道を切り開く主役は

息子のユウキくん4歳半が大晦日の12月31日に突然「おれ、大人になったらカメラマンになる」と宣言してその後たびたび目を輝かせて言うようになった。
どのような気分・気合・根拠でそのようなことになったのか、そこまで聞き出すには至らないのだがなんだか微笑ましいので静かに見守っている。
1月9日付けの日経新聞の30面で「カーナビ親の落とし穴」というコラムがあって僕にとってはかなり重い内容だった。「カーリングペアレント」という言葉があるのだそうです。ストーンを目標へ滑らせるため氷面をブラシで掃くカーリング競技の姿になぞらえ、子どもの先々に手を打つ過保護の親を皮肉っているのだと。
うーん、ピアノをはじめとする楽器に親しませておきたいとか、この先膨大な時間を「勉強」に注ぐことになるからにはどうせなら頂点とされる東京大学を目指すのが好ましいのではないかと固く信じてみたりとか、僕の思想は「カーナビ親」そのものであって批判の対象なのであります。(汗)
発想を変えて、ナイスな合いの手とかアドバイスとか支えになってやるというところに親は止めて道を切り開く主役は本人、ということをあらためて確認しておけばいいのかもしれない。
自分の父は自分が銀行員だったためか、兄にも私にも銀行員になることを望み、兄は銀行員になったし、私も就職活動ではよくわからないながら銀行の内定をもらうに至っていた。自分は平行して当時文系も理系も就職企業ランキングでトップだった電機メーカーの内定をもらっていたのだが、父はその電機メーカーへの就職は猛反対。理由は「銀行は倒産しない」だった。(笑)(<バブル崩壊前の時代の話)
就職をどうするか、というのを考えるのはとても難しくて、自分は高校生になって始めての面談で「テレビ局のカメラマンになりたい」と言ったと記憶しているのだけど自分の通っていた高校でそのような志望を言う生徒はあまりいなかったのだろうか、あまり先生から積極的なアドバイスもなく、先生のせいではないのだけど自分は結局目標もよくわからないまま、理系の大学と文系の大学を掛け持ち受験する、というよくわからないことをやって、理系の大学に落ちて文系の大学に進学したのです。(つまりなんのポリシーもない状態だった。)
自分は今「でじたる屋」というお店を商店街でやっていて役割としてカメラを担当しているのだけど、今後10年先、20年先になにをやっているのかについては結構柔軟に構えていたりします。今もし学校に入りなおすならば、勉強してみたいことは大規模の土木建築であり、将来なんとなく政治家をやってみたいという願望もあったりします。このはちゃめちゃな発想(良く言えば柔軟)は大切にしていきたいと思っています。だから息子のユウキくんにも柔軟な発想で常に考えてもらって、まあ「人の役に立って、それが喜ばれて、それで対価(報酬)がもらえる」というところならなんでもいいよ、というまあなるべく広い目線で見守っていければいいなと思っています。

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