さきほどtatsさんの問題提起 ついで需要 を読みました。
完璧な意見だと思います。
私は「ついで」程度で撮れるものは労働の価値として実質「ついで相当」程度だと思います。だからついでに撮れば顧客満足が高められると思います。実際にはついででプロ品質は撮れるときと、撮れない、それは状況しだいでもあるとは思います。(そこが面白さでもあると思うのですけどね。。。)ストロボのセッティングで撮影していて突然動画と言われても普通は撮れません。
先日の私のケースでは動画を撮影したら静止画の撮影持ち時間が激減して、結局ほとんど動画の仕事だったね、ということになりました。ついで、ではなく動画が主体になってしまった、ということでした。長辺10cm以下は動画から切り出して写真として使えるからそれでいいよね、という前提もありました。
例えば「ついでに掃除もお願いできますか」と言われたときに無料で掃除するカメラマンがいるのでしょうか。私だと掃除にも撮影ギャラに遠くない時間給(1万円くらい)を請求するので、もしも掃除しても良いと言われたら喜んで掃除するでしょう。(つまり私に撮影後の掃除を依頼してくれるお客様はあまりいないでしょう。)
ついでに動画、という言葉に嫌なものを想像するか、むしろチャンスにするか。チャンスにする方法は
「ついで品質」に終わらない圧倒的な結果を出す→次につながる
「じゃあセッティング」といって大がかりに照明を組んで→本格的に別料金の仕事にしようとする
チャンスにならないのは
「ついで品質」で露出・色・シャッター速度・音などがプロ品質でなかった→お客様のニーズも同程度なら
もともと無かった予算なので諦める→お客様が後で品質怒り出したらついででなく動画だけリスケジュール。
業界の価格破壊の問題について
10万円ギャラのカメラマンと3万円ギャラのカメラマンが同レベルの写真が撮れるはずがないので、両者はある意味競合してないのだけれど、お客様が写真の品質を落とすことにした場合は3万円のギャラのところに仕事が流れてしまう。
そこで、10万円の技量の人が3万円に価格を下げたところで初めて本格的な価格崩壊が起こると思う。品質を下げて3万円の予算にしたはずのお客様が同じ予算で10万円品質のものが手に入るようになった。
しかし、そこに落とし穴があるというのが私の考えで、実は10万の技量の人が3万円にディスカウントして売り上げが半分にもしも縮小すると、機材の更新など設備投資の規模が縮小して、そのうち十分な品質を出せる体力が失われていく可能性がある。すると結局10万円品質だったはずの人が3万円相応の品質の人にスケールダウンしていくのではないかと。。
そしてそもそも最初に3万円で価格破壊に火をつけたような張本人は、その頃には1万円で受注するようになって故障した機材の修理もできなくなってるかもしれない。
価格戦略では今注目のケースはユニクロの低価格ジーンズのゆくえだと思う。今ユニクロの業績は絶好調らしいけれど、例えばこの先もしもユニクロが経営破綻した場合に、徹底的に崩壊したジーンズ市場がどんな風に復調していくのかな、、と。
安かろう悪かろう、という言葉はずっと普遍的にあって、やっぱり「はんちゃんみたいな安いへたくそカメラマンじゃだめだったね」というような、お客様の側にも厳しい選択眼があって、だからただやたら単純に下落していくものではないと思う。高い技術のカメラマンさんは、それを維持するために高い費用がかかっている、それひっくるめてギャラとしてお支払いしている、そう思わせるものが高いギャラのカメラマンに依頼して、撮影当日、納品、すべてのプロセスで「やっぱりいいね!」というものが当然あるわけで、その品質を維持、磨き上げていくのがきっと憧れのプロフェッショナルなのではないかと、、、そんな風に憧れも込めて思っている次第です。
価格決定についての理論は「プライシング戦略」というキーワードで探すと出てきます。私はビジネススクールに短期留学していた時に初めてその言葉に出会ってかなりびっくりしました。。。 戦略、という言葉もそのとき初めて知りました。 「戦略的思考」というキーワードもありますね。プライシングも戦略的に行おう、というオチでございます。
反響のメールが届きました。メールなので匿名扱いで、、
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もし はんちゃんさんが撮影された一枚の写真が ある単価で
1枚を10万で売って 10枚しか売れないのと
1枚を1000円で売って 1万枚売れるのと
どちらを選択しますか?
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この質問は面白いですね。営業写真の考え方ですね。
10万円で10枚は100万円、1000円の1万枚は1000万円だけど材料などコストもかさむので500万円として。
当然500万円のお仕事を選択したい。(笑) 1万枚売れうるケースという場合には真剣に考えないといけないですが 1万枚、、、、自分はないですね!(爆) だから両方極端でどっちも選択できない、ただ、とにかく総売上の大きいさじかげんをその都度うまく見極めた人が勝つレースなのではないでしょうかね。
こういうケースでは単価だけ見て、安い、高い、という感じだと話がわからなくなりますね。1万枚を狙っている場合の単価は1000円もありだ、ということでした。ありがとうございました。
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安くて品質の良いサービスを提供するのは、全ての仕事としての基本なのではないでしょうか。
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この文章は分解すると 安くてかつ、品質の良いサービスを提供すること=全ての仕事=基本、
となっていますが、高くて、品質が良い、というサービスや仕事の提供に興味がない場合はそうなり
ますが、価格が高いのは悪ではなく、価格の高さが品質を保証しているケースがあります。
価格が品質のバロメーターや根拠となっていることもあるので、安い=基本というのはまずくて、
流されて安売りしないようにしよう、という文脈で流れているのがこの日の日記となっています。
だから、いろんな考え方があり、そういう多様性が大切なのですが、高い単価で仕事することも
重要で、仕事の質も上げていこう、という方向で今日は意識していたいと思います。
10万円品質と3万円品質というものが歴然として存在するというのが話の前提になっているように思いますが、それはhanさんの妄想ではないでしょうか?
そもそも発注側の意識に対する把握が現実的ではないというか、カメラマンの売り手市場ではないでしょう、この世界。
yukinyuaa様、妄想で論点を単純化していますよね。数字も。数字は100万円と10万円でもいいし、買い手市場でも売り手市場でもそれはあまり話の骨には関係ないとは思います。需給バランスの話はなぜ3万円への力学が働いているのか、というところにうすーく、入れてあったつもりですが、もっと考えれば、、、複雑だけどそのほうが面白いかな、、、考え直してみます。ありがとうございます。
いろいろと考えさせられる記事ですね?????
私、フリーター(時々カメラマン)生活30年ですが、こんな時代は経験したことがないので・・・・
自分は8千円のジーンズと8百円のジーンズの差はよくわかりませんし、10万円のカメラマンと3万円のカメラマンの差は、もっとわかりません。
その昔、私が所属している写真関係の団体では「安売りするな!」的なことを言うてましたが、カメラマンの価値判断なんて誰にも出来なくて、一般的な商品と同じで、単に需要と供給のバランスで成り立っているような気もしますが・・・
これからどんな時代がやってくるんでしょうね??????
SHUさん、カメラマンみんなうまくて当たり前だよ、って別の先輩カメラマンさんからも言われました。その方はすごくデリケートな表現がうまくてピカイチの実力の人です。同じという自己認識はよくないとそのとき思いました。出版社がページ単価、という制作の都合上の予算から撮影ギャラを割り出してくるのは出版側には合理的だけどカメラマンには合理性がない、という仕組みでした。 映像ではもっと映像制作会社に装備や人材の規模で綿密にギャラを組み立てて発注するカルチャーがあるようですね。 出版社がカメラマンを別の人に切り替えるときにどういう基準で、というのが問題ですね。しかし単に需要と供給だけでなくいろいろ、、まあそれはブログ上で書かなくてもいいですね。未来を明るく乗り切る方法はいろいろ思いついてますよ。
daichangmさま、お客様は神様ではなく、対等であるべき、ということでしょうか。ギャラのところでバランスしているはずですけどね。納品は手渡し、とかそういうところに手間(コスト)をかけるカメラマンさんも多いと思いますが、私は「時間=コスト=お金=請求」ということを前提でのお付き合いです。お客様のためにがんばってコスト削減に協力したい、というお客様と同一チーム目線での働き方を心がけています。
対等であるべきとは思いません。
しかし神様と人間といういびつな関係ではない。というスタイルを選びたいと思っています。
提供側にも「もし自分が客だったらこういうものが欲しい」というものを提供する自由がある。と思ってます。高くてもいいものも欲しいし、安くてそこそこのものも欲しい。丁寧な接客が欲しい日もあるし、突き放して欲しい日もある。
美容室で頭を洗ってもらってるのに終ったら「おつかれさまでーす!」と全員から言われるのは私は嫌なので、自分が美容室経営なら頭を洗ったあと、「気持ちよかったでしょ?」と自信を持って耳元でささやく変態美容師になりたいということです。
はんさんの意見はいつもながらにA+、主席卒業おめでとう!という感じです。同一チーム理論はすばらしいと思います。
お客様は神様だと言ったのは南ハルオでしたかね。
ある種の職業には通じる考えかもしれません。
私なんかは接客するときは、自分が自分の店や商品が好きだから、購入者=同調者だと思って接しています。私がカワイイ、欲しいと思った商品をあなたも欲しいと思って買ってくれる。仲間~!みたいな。
だから、その商品に不具合があった時は売った側として最大限のいい対応をする。だけど、倫理的な範囲を超えた要求やいいがかりはつっぱねます。だってその次点で仲間じゃないもん。
仕事を離れて、消費者の立場になった時に自分は客だ。神様だ。なんて絶対思いませんね。
ちなみに、大好きだったあるドラマの言葉より。
「お客様は王様です。しかし、王様の中には、首を切られたものも大勢いる。」
ああ・・明日も電話で怒られるお仕事にいかなけりゃ。
お金を払うことで初めて売ってもらえるのです。お金を払わないとお客として扱ってもらえません。お金こそがすべて、金なんだーア!
お金を媒介にして、金額が釣り合った(対等な)ときに取引が成立してお金の授受が行われるわけです。お客様は神様ですの精神は、顧客満足の達成こそがマーケティングの目的であるということでしょう。しかしお客様は神様で、しかし高値の店は奴隷以下なのか、というところ、高値が高品質高付加価値であればそこにお客様は来るのであり、問題はなく高値の店もまた神だった、ということ。(でありたいのでありました。)
どこかで読んだのですが
お客様は神様の神様は、金を払っているから偉いという媚でなく
神様は全てお見通しだから、
手を抜くなよ、いいかげんなことすんなよ、全力でやれよということだと。
でたなカネゴン!いや、カネ神ゴン!(笑
まぁ、ね、いろんな人がいて面白いんじゃないですかね。
理論が通用する範囲なんてsRGBと同じぐらい狭いでしょ。あ、案外広いとも取れる発言。
ぶすっとした店主の店も好きですよ私は。
目が笑ってないけど良い人もいるんだと思うんですよ。ええ。
SHINYA様
そういう本来の意味とか良い意味が失われてしまって言葉が独り歩きしている感じがしますね。
その意味の場合は商売のみならずすべてにおいてそうだと思うのです。
「おてんとうさまがみてるぞ」って良い言葉だと思います。