EF20mmF2.8/5D/絞り優先f2.8
ようやく長野県佐久市にも梅の花が咲きました。東京の感覚からすれば「なに?今頃?」と驚きの遅さだと思いますが、長野県の場合梅が遅くて、桜と時期的にあまり変わらないのです。梅が咲いて一週間で桜も来る感じなんですね。ボクは花の写真を撮るのは得意ではないです。誰が撮っても「花は花の写真でしかない」と感じてしまうのです。そもそも花はキレイだから誰がどんな風に撮ってもキレイじゃん、みたいな。
「じゃあカワイイ子が入っている写真は誰が撮ってもカワイイ子の写真なのか?」そのとおりだと思います。その写真にそのカワイイ子が入っている、ってことが一番重要!かと。(笑)そう考えると、まずは行動の発端の「カワイイ子を撮ろう!」という動機とか意志が一番大切ということになりますかね。
撮りたい、という欲求に導かれてうまれたその写真に、芸術としてのパワーとか美しさに差が生じていく。どこでその差が「いい写真、そうでもない写真」に拡大していくのか。確かな写真撮影技術と、感性の問題の両輪ですね。どちらかといえば後者、感性のほうがとても重要かなぁ。(だから困ったものですね。笑)
どなたかが書いていたのですが、プロは見る人を満足させる。アマは自分で満足する。
花の写真だけでなく、私のは自己満足の世界です。
こんばんわ、御久しぶりです。
私の場合、最近は草木の花や、サーキット、舞台等を中心に撮影しています。
以前はバイトで女の子の写真も撮っていましたが・・・
女の子の写真を除くと、撮りたい瞬間、シーン、情景をじっと待って、その一瞬を撮る、って感じでしたが、女の子の写真は、その子が綺麗に見えるように、演出し、シーンを組み立てて撮るって感じでした。
感覚・感性で撮影しているつもりですが、どうしても待ち伏せタイプの撮影な感じですね。
上手く書けてないですが、今回はこんなことを感じました。
>プロは見る人を満足させる。アマは自分で満足する。
名言ですね。プロは自己満足で終わってはならない、アマはまず自己満足までは満たしなさい、という感じの理解でも良いでしょうか。しかし、自己満足のレベルに達するのもそもそも大変なことです。
>女の子の写真は、その子が綺麗に見えるように、演出し、シーンを組み立てて撮るって感じでした。
シャッターチャンスは、一瞬のことなので、その一瞬のために待つのですね。女の子写真はモデルをカメラマンが主体的に動かしてシャッターチャンスを意図的に作るってことかと思いますがその技量はまた独特のものですね。