修理にはジレンマがある

写真は先日、脳内最高速度で走行中に切れた二種原付スクーターの駆動系のベルトです。 「もう廃車だな」と覚悟していたのに、修理代は非常に安く、しかも他にもいろんなところが良くなっていて、「まだまだ乗れる!」と確信しました。
修理にはジレンマがあって、数千円でこんなに見事に直ってしまえば、バイク店はバイクを販売する、という機会を失います。
さて、昨日の新藤さんのカメラ故障の件は、少し事情の違う案件でした。消耗品とはなかなか思えないところが故障して、それを見積もったら1万円だった、というような話だと思います。
なぜ故障に至ったのか、というところで製品自体の耐久性に問題があったかもしれないと感じました。(実際そういう故障も多いだろう) または安いカメラなのでプロカメラマンが一年も使えば当然壊れる程度ですよ、って言われればそうかもしれない。
しかしカメラに1万円の修理代、というのは、私のスクーターの修理代よりも高額であり(!)たのむ、なんとかなってくれ、って願わずにいられないのは、まあほとんど誰でもそうでしょう。
カメラメーカー側の立場を想像すると、修理は基本的にどこでも赤字なんだと思います。なんとかしてくれ、って本社からの追求が厳しい、それが修理部門の一般的な事情ではないかと思います。(そうでないところもあるかもしれませんが。)
儲かる、という値段にするためには、修理を中国やベトナムでやる、というようなことも真剣に検討される?笑。工場で効率よく行われている行程にも似たことが、一台限りのオンデマンドで、高給料のエンジニアによって行われる、それが修理の実情です。
修理を安くしたツケは当然、新品を買う人に転嫁されます。私のような貧乏人はしつこく古い機種を修理して、一方お金持ちが新品を買うときにそのコストを肩代わりしてくれるww、それはそれでアリなのかもしれませんね。
いろいろ考えてみて、新品を買うのばバカらしくなるほどに「修理が美味しすぎる」のは問題。ある程度の修理代は徴収しつつ安く据え置いて、新品をそのぶん高くしたほうが、全体としてユーザーの満足度は高まりそうな気がしますね。修理代が原因でどんなに製品価格が上がっていても、製品買う客はまず気付かない。やっぱりCS(カスタマーサティスファクション)の原点に帰るしかない、そんなところでしょうか。。

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